コンテンツが保護される理由 - 商業的価値と保護のバランス感覚

2006/04/16

日曜コラムです。こんばんは。
 
■コデラノブログ「補償金問題セカンドステージ」
http://plusdblog.itmedia.co.jp/koderanoblog/2006/04/post_6fd9.html
 
■スラッシュドットジャパン「著作権を没後70年まで延長するよう要望」
http://slashdot.jp/articles/06/04/12/2314259.shtml
 
いろいろな方面で、いろいろな思惑がうごめいているようです。
 
前者は録画録音補償金問題について「私的録音録画小委員会」という新しい
委員会を発足させて再審議を始めたものの、その選出メンバーが明らかに
補償金制度を肯定する勢力で占められていたというもの。
 
後者は音楽出版社協会の会長から首相に対して、著作権保護期間を著作者の
没後50年から70年に延長することを求めたというもの。
 
直接的な対象な異なるものの、いずれもコンテンツの価値で生活している
人々の要求が、あの手この手を尽くして溢れ出してきているという見方を
することができるでしょう。
 
私も含めて、行き過ぎた著作権保護のためにコンテンツそのものの利用価値が
減じられてしまうような行為には、辟易しているという方が多いでしょう。
 
確かにコンテンツの保護が適切に行われなければ、コンテンツを生み出す
モチベーションそのものが失われてしまいます。しかし、コンテンツの保護が
厳しすぎれば、逆にコンテンツ利用の自由度が失われ、商品価値が低下し、
コンテンツの消費そのものを冷え込ませてしまいます。難しいのはバランス感です。
 
私はというと、むしろこの、
 
 「70年は長すぎる!」とか、
 「50年なら適切だったのか?」とか、
 「後から延長するのが卑怯だ!」とか、
 
そういう議論自体に辟易してきました。そもそも彼らが唱えているのは、
まぎれもなく「自己の保有する権利の永続化」に他なりません。
「没後70年」が過ぎ去ろうとしたとき、彼らはまた同じように
「没後100年」を主張するでしょう。この堂々巡りを押さえるには、
この流れが一体何処から生まれてくるのか、その根本を見極める必要があります。
そうでなければ、いくら「適切な」法制度を確立しようとしても、
それは時と共に押し流されてしまうに違いありません。
 
話を単純化すれば、この流れを生み出しているものは、
 
 著作物の「商業的価値」そのもの
 
です。如何に「文化発展のため」という理由で著作物保護の適正期間を
決定しようとしても、著作物からこの「商業的価値」が消えない限り、
そこにはその商品で商売をしようとする人々が群がることになります。
ディズニー然り、そのほかの映画、音楽業界も然りです。
 
では、商業的価値が存在する著作物の周辺には、その後、どのような動きが
発生するのでしょうか。その著作物に商業的価値があると判明した瞬間、
その著作物は多くの人を雇用する力を持ちます。その著作物を取り扱う商売
によって儲けを出し、その儲けで生活する人を増やすことができます。
その数が多ければ多いほど、それは確実な「民意」となって、法律を動かすのです。
 
■2005/02/13 [私的録音・録画補償金制度で「生活に関わる」影響を受ける人々
私的録音・録画補償金制度で「生活に関わる」影響を受ける人々]
生活が懸かっている人と、生活が懸かっていない人では、「必死度」が違います。
政治的影響力から見て、同じ重みではないのです。郵政民有化などの他の例を
見ても判るとおり、「利権の存在」に雇われたごく普通の社会人たちは、
その利権が脅かされると突如として、生活を懸けて全力で牙をむく のです。

 
それがお金を生み出すモノであればあるほど、周りの空気はそれを保護する
ように動きます。「保護したほうが儲かる」と思う人が多ければ多いほど、
その守りは強固なものになります。私が
 
 「法制度の良化」にこだわりたくない
 
と主張し続ける理由はまさにここにあります。
 
何が「適正」な法なのかは誰も知り得るとは思いませんが、もしかして万が一、
あなたの考える「適正」な法が認められたとしましょう。しかし、それがもし、
著作物の商業的価値と食い違う法律であったとしたら、その法はいずれ、
その商業的価値を活用しようとする勢力の拡大によって覆されてしまうのが
目に見えているのです。
 
価値を利益に還元すれば、多くの人を雇用することができます。多くの人に
衣食住を与えることを約束できれば、法の1つや2つを覆すための味方は
いくらでも増やすことができます。
 
私が常に考えているのは、その根本である「著作物の商業的価値」を、
如何に時と共に減衰させられるか、という点にあります。
 
冷静に考えてみてください。ディズニーキャラクタを守るためには
莫大なロビー活動を行う必要があります。その資金を捻出するためには、
どれだけのディズニーキャラクタが「商品」として消費される必要が
あるのでしょうか。それをどれだけの人の消費が支えているのでしょうか。
 
私的録音補償金についても同様です。補償金がガンガン上乗せされても、
やっぱりその音楽が欲しい!あきらめられない! そう思っている人が
多いからこそ、その補償金制度は成り立つのです。
 
この経済原理の輪が明瞭に崩れてこそ、解決の糸口は見えてきます。
 
 「へぇー。値上げもして、使い勝手も悪くして、
  それでも今までどおり買ってくれると思ってるんだ。
 
  そんなのもう誰も欲しがってないよ。
  他にも安くて面白いものはいっぱいあるんだし。」
 
消費者が真顔でそう言えるようになったとき初めて、著作物の商業的価値は減衰し、
それを保護する勢力はその体を保てなくなります。
 
本来、保護を強めるということは、商業的価値を減衰させることと同義なのです。
Microsoft の Office も、Apple の FairPlay も、ビジネスはその保護と商業的
価値の減衰のバランスの中にあります。使わざるを得ないという束縛と、
「その程度の束縛なら我慢できる」というだけの商業的価値の残量があり、
そこにバランスが生まれたとき、それは一定の利益を生み出します。
 
当然それらも、保護がもっと強まれば、商業的価値がさらに減衰し、
バランスを失ってしまうと、ビジネスの存続が危ぶまれることになります。
 
私が最も危惧するのは、その保護の強さが一律に決められようとしている点にあります。
前述のとおり、許される保護の強さは、対象となる著作物の商業的価値によって
異なるものなのです。ディズニーは、あるいは強い保護を続けていても愛され続ける
かもしれません。でも、もっとマイナーな作品はどうでしょうか。
 
補償金も、コピーガードも、あらゆる作品に一律に乗せられることを業界的に
強いられるとしたら、小さな商業的価値しか持たない著作物は、
 
 強い保護に耐えられず、逆に行き場を失うのではないか
 
と、そう思えてなりません。そうなると、今度は積極的に保護を緩めるための
施策が必要となります。保護を緩めることで初めて商業的バランスが成り立つ著作物には、
その道を閉ざさないようにすべきです。コンテンツの価値に自信満々な人は、
有料放送にして強烈なコピーガードを掛ければ良いのです。そうではない人は、
 
 「見てもらうためには、どこまで保護を緩めれば良いか」
 
を真剣に考えて、ビジネスが成り立つレベルまで保護を緩めていけば良いのです。
そして私たち消費者は、あくまで冷静にそのバランスを判定します。
 
 「この面白さでこの安さ! しかも何度でも見られるなんてお得だな~。」
 「この程度なのに視聴は1回だけなの? もうココのは見るの止めよっと。」
 
コンテンツを強く保護するほうが売れにくくなる、そういう当たり前の経済原理を
浸透させていくことが、消費者側のこれからの課題になるでしょう。
 
保護はこっそり強くしておきながら、消費者には「面白さはUPしてますよ~」と吹聴
するような地デジ・コピーワンスやCCCDのようなメッセージを信じる人がいなくなり、
内容の面白さと保護のデメリットを両方把握した上で、そのバランスに納得して
コンテンツを購入できるような世界を目指したいものです。それにはまず、
保護のデメリットが明確に伝わるようなメッセージを広めていく必要があるでしょう。


2006/04/16 [updated : 2006/04/16 23:59]


この記事を書いたのは・・・。
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▼ はてなブックマークのコメント ▼

wacky 2006/04/17
著作物における「保護」と「商業的価値の減衰」のバランスについて。
yugui 2006/04/17
市場原理によるボトムアップな文化的価値流通調整の提案
hamasta 2006/04/18
さらばコンテンツの時代、こんにちはコミュニケーションの時代。そして著作権者は途方に暮れる。
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▼ コメント ▼

No.2286   投稿者 : wolfy   2006年4月17日 21:51

アメリカでは「鼠の国」の著作権が切れそうになると、延長するんだそうな。
それで出てきたのが「100年に延長」と言う奴。

鼠嫌いな人の多くは、そのコスさに参るのだそうな。



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