メディア変革のスパン - 変化の源となる「世代」から目を背けるな

2006/02/12

日曜コラムです。こんばんは。
 
みなさんは最近どんなメディアから情報を入手していますか?
みなさんのライフスタイルを取り囲む情報ツールとは何ですか?
 
「そういえば最近、テレビを見る時間が減ったよね
ニュースはだいだいWebで 見て済ませるようになったかな」
新聞は取らなくても 全然問題なくなったし」
 
そんな意見があちこちから聞こえてくると思います。
 
今、これを読んでいるあなたは、少なくともこのブログにたどり着いている
という時点で、かなりのネット使いでしょう。ネットにアクセスしない日は
一日たりとも無いという方も多いはずです。
 
今の中堅世代(20~35歳くらい)の中でも、「ネットに近い側の人々」を
支えているライフスタイルは、概ね上述のようなものだと思ってよいでしょう。
 
では、本題に入りましょう。あなたがそういうネットに近しいライフスタイルを
送っているとして、あなたのご両親(50歳~70歳?) も同じような
ライフスタイルになっていく姿を想像できるでしょうか?
 
■My Life Between Silicon Valley and Japan
「ウェブ進化論」: あとがきの一部、発売日の東京でのイベント
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060130/p1
時間の制約ゆえ、参加者のブロガーの皆さんと広範囲なテーマについて
議論を尽くせるとはとても思えません。よって、
・2/7イベントはあくまでも刺激のインプットの場であって、
 そこで議論は完結しない。
・完結しない分は、ブログ上で活発に意見交換・議論をしていく。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
著者: 梅田 望夫
出版社: 筑摩書房
ISBN: 4480062858
発売日: 2006/02/07

この日のイベントでは当然ながら消化不良に終わった議題がいくつもあります。
Key Questionに指定されていた問題の中から、この話題を取り上げてみましょう。
 
 メディアの変化は「どういう時間軸で」進むのか?
 
これは非常に頻繁に問われるポイントですが、
私はいつもこう答えることにしています。
 
 「変化は最低でも10年、長ければ30年というスパンで起こる。」
 
向こう2~3年でテレビや新聞の力が半減する、という過激な説は、
こうしたメディア論を語るに当たってとても刺激的な材料であるものの、
いざ周りを見渡したときに、それが現実のものとなって現れてくる予感を
感じとることができません。
 
少しずつ、少しずつ、水滴が石を穿つように、ゆっくりと変わっていく、
でも後戻りは出来ない、必ず変わっていく・・・。
私が持っているのは、そんなイメージです。
 
私がそんなタイムスパンをリアルにイメージするようになったのは、
2004/11/16の隊長のこの記事を読んでからでした。
 
■切込隊長BLOG(ブログ)「新聞業界がこの先生きのこるには」
http://kiri.jblog.org/archives/001168.html
ネットはいずれ「リアル」になるという議論は否定しないが、
タイムスケールとしてはもっと長い、30年、あるいは50年という
次元で進んでいくものであると認識している。

5年程度の期間で新しい形のジャーナリズムが出るという認識は持たない。
むしろ絶望的である。
 (中略)
また、もう少し踏み込めば社会の変化へ対応する力というのはもっと
ゆっくりしたものであると考える。情報摂取の方法が携帯やネットが
いくら普及したところで人間のリテラシーが直接向上するわけではない。

望ましい将来がたとえ50年後で、私が生きていなくても、そこに至る
プロセスはその50年間毎日怠らず進んでいかなければならないからだ。
その変革の力が頼りないものでも、着実に進んでいくことさえできれば
それは将来の私たちの社会に対してのささやかな財産になるはずである。

 
湯川さんの主張する「ジャーナリズムの革命」ともいうべき未来に対して、
隊長がこれでもかと噛み付いているエントリです。
 
私は、ネットが「ジャーナリズム」という正義感めいたものを後押しするか
どうかはともかくとして、嘘も悪意も欲望も渦巻いたメディアとして
人々の心を捉えるには、それほど時間が掛からないと思っていました。
しかし、このエントリを読んだ後、考え方を180度変えるようになりました。
 
 
 そうか! 変化に一番対応できない存在とは、「人間」だ!
 
 
ITの世界は「ドッグイヤー」です。あるいはドッグでも飽き足らず
「マウスイヤー」などと呼ばれたりします。人々の想像を超えたスピードで
技術はどんどん進化を続けていきます。ハードウェアはまだ物理世界の制約を
受けて動きますが、ソフトウェアは人間の思考そのものであり、無限大です。
1、2年前には想像も付かなかった技術が、次々と目の前に現れていきます。
 
でも、いくらITの世界がドッグイヤーであったとしても、
 
 「人間」はドッグでもないし、マウスでもありません。
 
ケータイが当たり前になるのに何年掛かったかを考えてみてください。
初の一般向け携帯電話が登場したのは 1987年 です。ケータイの爆発的普及に
ひと役買った「iモード」が登場したのは、それから実に 12年後の1999年 です。
現在はそれから 7年後 にあたります。周りを見渡してみてください。
「ほとんどの人がケータイを持つようになったよね」とあなたは言うはずです。
 
でも最初の登場から 19年が経過している という事実に、あなたはどんな説明を
付けるでしょうか。もちろん、必要な技術が足りていなかったというのは、
それはそれで1つの説明付けにはなるでしょう。しかし、
 
 「19年ぶんの若者」が、加入者増の大部分を占める
 
という説明に、目を瞑ることはできるでしょうか?
 
人間は長い人生の中で数十年掛けて、習慣を身に付けていきます。
特に大きな影響を与えるのは、多感な年代(5歳~25歳あたり) に於いて
どのようなモノに囲まれてライフスタイルを構築してきたか、という点です。
 
ケータイが無い時代に多感な年代を過ごしてライフスタイルを築いた人に、
ケータイをアピールするのはとても大変なことです。しかし、ケータイが
あるのが当たり前の時代に多感な年代を過ごした人であれば、それほど強い
アピールをしなくても自然にケータイを持つようになります。
 
想像してみてください。19年もの歳月を掛けたとしても、増えたケータイユーザの
ほとんどがそうした「新しく生まれた世代」であって、19年前のあの日にケータイを
購入してくれなかったあの人 は、今でもケータイを持っていないかもしれないのです。
 
最近はようやく、お年寄り向けケータイというジャンルが登場するようになりました。
しかし、これでケータイが一般に広く行き渡った、と考えるのは早計です。
彼らは果たして若者と同じメタファでケータイを使っているのでしょうか?
 
答えはモチロンNoです。それぞれの世代に「理解可能なメタファ」、すなわち、
年輩の方が理解可能な「音声通話」というメタファで活用されるに過ぎません。
年輩の方の多くは、毎日ケータイの画面と向き合ってメルメルしているワケではないのです。
 
ポータブルオーディオを例にとってみても、それは同様です。何もMP3プレイヤーの
ような最先端のお話だけではありません。物心ついた時に既に
「音楽は録音して歩きながら聴くもの」というライフスタイルが溢れていたのは、
今の40代くらいからです。今の50代の人には、
 
 「どうして外で歩きながら音楽を聴かなければならないのか」
 
未だに理解できない人も多いのです。ところがポータブルラジオであれば、
普通に持ちまわっている人が多いのもまた事実です。この差は何なのかと問うても、
ウォークマン以後の世代には理解ができないでしょう。彼らにとって、ラジオは
物心ついた頃から自然にあったモノであり、ウォークマンはそうではなかったのです。
 
 
「世代論は無意味だ」 という主張は一見正論に聞こえますが、
それを安易に振りかざすのは考えものです。世代とは、言い換えれば、
 
 どんな「モノ」が有る時代を過ごしてきたか、
 
であって、世代とは同じモノがある環境を過ごして「習慣」を形作ってきた
人たちの集まりです。生まれたときからテレビが有る環境で数十年を育った人は、
生まれたときからテレビが無い環境で数十年を育った人とは違うのです。
 
私たちは「ネット」のある時代に生まれました。そこで培われた感覚がもし、
ネットのある時代に生まれた人しか理解できないものに溢れていたとしたら、
もしかしたら 「ネットのある時代に生まれた人」を増やす ことでしか
社会は変化しないのではないか? という恐怖感がアタマをよぎるはずです。
 
モノがある時代に生まれた人を増やす、それはつまり、年月を重ねて、
世代交代を待つということに他なりません。現実に「それが有る」環境を与え、
その中で多感な年代を過ごしてもらわなければ、人間はそれをライフスタイル
の根幹を決める「習慣」として身に付けてはくれないのです。
 
逆に言えば、世代が入れ替わっていくごとに、浸透を実感することになるでしょう。
テレビよりも新聞よりも雑誌よりも、人の気持ちをネット上で自動的にマージした
データのほうを信頼する人々が増える時代はきっとやってきます。
それこそが、ここで言う「メディアの変革」として唱えられるべき事象ですが、
その変化は人間社会の変化のスピードに合わせて発生します。
 
 「人間社会の変化のスピード」、それ自体がボトルネック
 
となって立ちはだかるワケです。人間1人1人は「習慣」をそう簡単に変えることが
できないとしても、人間「社会」の変化は、世代交代によって達成されます。
 
 「DECADE」 が変化を実感するための基準単位であるなら、
 その単位とは 「人間社会の変化」 そのもののことだ。
 
私は最近そう思うようになりました。
 
では、変革が世代が変わることでしか起こらないのであれば、
技術はいくら進歩させても無意味だ、ということでしょうか?
いえいえ、もちろんそんなことはありません。新しい世代が多感な年代を過ごす間、
その環境にどんな新しいモノを届けられるかということが、変化のスピードを決定します。
 
もし10年前から今までに技術が全く進歩していなかったとしたら、世代による習慣の
差異は生まれず、新しい世代も10年前と同じ水準の習慣に甘んじていたことでしょう。
しかし現実には、ケータイがあり、ネットがあり、それらに当たり前のように囲まれ、
テレビや新聞から離れていく新しい習慣が、彼らの中に築かれつつあります。
 
新しい世代は、人生のライフスタイルの根幹を決める「習慣」を、
「今あるモノ」に依存して 形作っていきます。そこにどれだけ新しい技術を投入して
大きな変化を促していけるか、それが変革の源になることには変わりありません。
 
メディアへの挑戦はまだ始まったばかりです。
 
テレビでも新聞でもない、ネットという未曾有のアマチュア情報の洪水にまみれて
多感な年代を育った若者たちは、きっとネット上の草の根メディアに強い信頼を寄せ、
そこから有益な情報を読み取る術を身につけていくことになるでしょう。
 
生まれたときからテレビのある時代に育った団塊世代が、テレビなしでは不安で
生きられないように、新しい世代は、ネットとケータイのない環境が不安で仕方ない
という新しい習慣を身に付けていくことになるのです。


2006/02/12 [updated : 2006/02/12 23:59]


この記事を書いたのは・・・。
CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
ブログ「デジモノに埋もれる日々」「アニメレーダー」「コミックダッシュ!」管理人。デジモノ、アニメ、ゲーム等の雑多な情報をツイートします。




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akiyan 2006/02/13
いつものことだけど、いい記事書いてくれますね。
leva 2006/02/13
新聞→ネットへの変革は緩やかに進み、人間がその変化のボトルネックとなる。まぁ、人間が受容できる情報量には限りがあるし、メディアもその限りをうまく使える・拡張するように進歩(?)していくんだろう。
nshash 2006/02/13
新聞→ネットへの変革は緩やかに進み、人間がその変化のボトルネックとなる。まぁ、人間が受容できる情報量には限りがあるし、メディアもその限りをうまく使える・拡張するように進歩(?)していくんだろう。
snotes 2006/02/13
「もしかしたら「ネットのある時代に生まれた人」を増やすことでしか社会は変化しないのではないか」
fenethtool 2006/02/13
毎度のことながら素晴らしい論考。
tks_period 2006/02/13
仰る通りで世代論は完全に無駄ではない。ただ「あいつらは俺の世代とは違う」という記事はよくある異文化アレルギーと等価。 最近思ったけど「美しい日本語」あたりも「異文化拒否型世代論」の亜種だよな。
zoffy 2006/02/13
革命でなく発酵。
nadzuna 2006/02/13
意識の変革より構成員の変化。
memoclip 2006/02/13
ARPANETが開発されたのは69年。INTERNETとして「開放」されたのは95年。2005年での、日本のインターネット人口は7007万2000人(55%)、ブロードバンド人口は3224万4000人(25%)望めば光回線がほとんどの家庭に引ける環境の日本。さて?
lockcole 2006/02/14
ITがいくらマウスイヤーでも,人間は人間。変化のスピードのボトルネックは人の習慣。多感な時期に享受した環境で左右されるから。TVに依存した団塊の世代からTVを引き離すのは容易じゃないと。非常に鋭い考察だなぁ。
yukio2005 2006/02/15
変化に一番対応できない存在とは、「人間」
yu_i 2006/04/09
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webmarksjp 2008/07/12
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No.2075   投稿者 : HgCdTe   2006年2月14日 10:14

日曜コラム、いつも楽しみにしています。。。

で、変革に要する時間の話、大変興味深かったです。
関係する資料として、米国での調査結果ですが、ご参考になれば幸いです。

1996 Annual Report of FRB Dallas
http://www.dallasfed.org/fed/annual/1999p/ar96.pdf

のP22の図(The Spread of Products into American Households)の横軸に、
innovators(2.5%)、early adopters(13.5%)、early majority(34%)、
late majority(34%)、laggards(16%)を重ねると、TVの広まり方が驚異的に
見えます。



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