コミュニケーション様式の変化 - 祭りドリブンとヒットアンドアウェイ

2006/01/29

日曜コラムです。こんばんは。
前回
コミュニケーションの消費カロリー - アイデンティティとテリトリーの関係に続いてコミュニケーション様式の変化について取り上げてみましょう。
 
その前に1つ、考えてみて欲しいことがあります。
 
 あなたを取り巻くコミュニケーションの種類と数
 
のことです。
 
家庭で、職場で、趣味のグループで、面と向かって、ケータイで、ネットで、
色々な集合に於いて、いろいろな手段を用いて、あなたはコミュニケーション
をとって生きているハズです。
 
他人のブログを読んでコメントをつけるのも、記事をブクマするのも、
いや、「へぇ」ボタンを1回押すだけでも、ネットの先に居る誰かに
リアクションを伝えようとする、立派なコミュニケーション行為です。
 
ツールが進化し、あなたのコミュニケーションの幅はグッと広がりました。
少なくとも、あなたが昭和の生まれであったとすれば、
「ケータイ」も、「ネット」もなく、「対面」と「固定電話」しか
コミュニケーション手段が無かったあの頃のことを思い出せるハズです。
 
 
さて、前回
コミュニケーションの消費カロリー - アイデンティティとテリトリーの関係のおさらいです。最後に取り上げたHeartlogicさんの記事から。
 
■ブログという対話プロトコルによって、何が変わるのか?
http://www.heartlogic.jp/archives/2005/11/post_6.html
人はこういう浅いコミュニケーションだけでは満足できないが、
広く浅いコミュニケーションの中から、深いコミュニケーションを
する相手を選べる。つまり選択肢が増える。双方向のコミュニケー
ションではなく、一方向だけのもの(いわゆるヲチ)においても。

コミュニケーションの様式が「広く浅く」という方向に変化し、
その中でも「一部の特に興味ある対象」にだけは深く接するという、
 
 「これからはT型人間ですよ!」 (オーマイ風味。古っ!)
 
みたいなお話が述べられています。T型とかΠ型とかはともかくとして、
浅いコネクションの幅が著しく広がり、その中でも深いコネクションを
「選択可能」になるという未来は、私の考える未来のコミュニケーション
様式とも重なり、とても共感するところがあります。
 
■2005/03/13 [マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(前編)
マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(前編)]
個々人の最大許容コストは人間の時間ですから有限ですが、
一方で個々の コネクションの維持コスト のほうは、どんどんと
低下しているのです。私たちは以前では考えられなかった
大量のコネクションを、平然と保持 し続けているのです。

大量のコネクションを維持できることは喜ばしいことですが、
そのコネクションが大量であればあるほど、逆に1つ1つの密度は
低下していかざるを得ないと考えるのが普通です。その意味では
「広く浅く」という関係 が大量に作られてしまう懸念があります。
これはあまり喜ばしいことではないかもしれません。
 
ところが、関係の深さの変化に、「時間軸」 という概念を加えて考えてみると、
それがあまり正しくない認識であることが判ります。
 
ここからは純粋なオリジナルではないので、念のため注意書きをしておきます。
このお話は、とある研究者の集まりに於いて話題に上がったモノです。

 
体育会系のサークルでは、時間的拘束という制約が非常に厳しく、
一度決めたら最後まで1つの部に所属することが当たり前となっていますが、
文化系のサークルでは、そうではないことが多いそうです。すなわち、
部の「掛け持ち」が当たり前となって、1人が多数のグループと
継続的にコネクションを持つことが可能になります。
 
では文化系のサークルでは、1つのことに打ち込めない浅いコネクションが
量産されているのでしょうか? もちろん、そんなことはありません。
彼らは、各々のコミュニティの 「盛り上がりの変化」 を時間軸で見極め、
その時その時に応じて どのコミュニティでの活動を優先すればよいか
を判断しているのだというのです。
 
もうちょっと判りやすくお話しましょう。例えば天文学部にはいくつかの
イベントがあります。「流星群が来た」「彗星が接近した」「月食が起こった」
スケジュールされていたり、突発的だったりしますが、そうそういつでも
エンジン全開なイベントが起こり続けているワケではありません。
例えば漫画研究会なら、コミフェスを代表とする大イベントがあるでしょう。
映画でも、車でも、文学でも、それぞれは計画的か突発的かは別としても、
面白そうなことがあって盛り上がっている時期とそうでない時期には波があります。
 
コネクションを大量に張り続け、広く浅い付き合いをしていながら、
 
 その時、一番盛り上がっているコミュニティに顔を出す
 
というやり方で、ディープな楽しみを余さず堪能しようとすることは、
可能だとは思いませんか。時間軸上に於ける盛り上がりの波を捉えれば、
 
「ある時は○○所属、またあるときは○○所属、しかしその実態は・・・!」
 
という形で、ディープなコネクションを選択し続けることができるのです。
 
これを 「祭りドリブン・コミュニティ」 と呼ぶことにしましょう。
 
人々はみんな、祭りを楽しみたいのです。今いちばん盛り上がっている対象に、
自分も首を突っ込みたいのです。でも、所属コミュニティを少数に限定して
いたのでは、なかなか自分の所属コミュニティで祭りは発生してくれません。
だから、大量の広く浅いコネクションを維持し続けて、
 
 「祭りがあったと聞いて飛んできますた!」
 
という行動原理で祭りを探知し、参加しようとします。その一瞬だけは
間違いなく、「今いちばんホットなコミュニティ」の一員 なのです。
 
ネット・ウォッチをして、2ちゃんねるのVIPPERの祭りに加わることも、
その1つの例です。広く浅く情報アンテナを張り巡らしていなければ、
祭りにリアルタイムで遭遇することができません。
 
ネット上の祭りは、文化系サークルの祭りよりも遥かに突発的で儚い存在です。
あの「電車男スレ」がリアルタイムで進行する現場 に居合わせるためには、
話題を振りまいた「VIPSTAR」フラッシュの存在をいち早く知るには、
果たしてどんなアンテナの張り方が必要だったのでしょう?
 
起こっている「楽しいこと」を見つけるには、それこそハリセンボンのように
アンテナを張り巡らせておく必要があります。1つ1つのアンテナは、いつも
楽しいことをキャッチしているワケではありません。でも大量にあるアンテナは、
 
 どれか1つくらいは楽しいことをキャッチしている
 
という状態を維持することができます。
 
ここにあるのは、未来のコミュニケーション様式の原型かもしれません。
 
あなたはコネクションを張るのにそのコストを気にする必要はありません。
おおよそ興味のあること全てに対して、節操なくコネクションを張りまくり、
その中で、今いちばんホットなコネクションに注目・参加して、いつでも
そのコミュニティに所属している参加者であるかのように振舞えば良いのです。
 
「祭りドリブン・コミュニティ」、その行動原理が、最初にご紹介した
Heartlogicさんの記事にある 「広く浅く、でも必要に応じて深く」 という
コミュニケーション様式を確立するための必須要素であるような気がしませんか?
深いコミュニケーションを十分に堪能するために不可欠な要素とは、
時間軸で考えた 「盛り上がり度の検知」とその取捨選択 なのです。
 
 
この新しい様式には、2つの効用があります。1つは既にご説明したとおり、
美味しい話題にできるだけ乗り遅れない、アンテナ高い人生を送れるという効用です。
沢山のコミュニティの美味しい瞬間だけを繋ぎ合わせて、美味しいイベントの
連続を堪能することができます。これを 「攻めの効用」 としましょう。
 
もう1つは 「守りの効用」 です。少ないコミュニティに集中して深く属した場合、
 
 万が一、その中で全否定されたら、逃げ場がなくなって
 
しまいます。もし心底のめりこんでいたコミュニティで居場所を失ったら、
それこそ人生に関わる一大事です。だから、大量のコネクションを張って、
自分の所属を限定しないということは、「所属コミュニティのポートフォリオ」
を構成するという意味合いもあるのです。逆に言えば、少数のコミュニティだけと
関係を持ち、そのコネクションに依存した生活を送るということは、
コミュニケーションライフに於いての 「リスク」 だというワケです。
 
こうした祭りドリブン・コミュニティに於ける守りのコミュニケーションを、
「ヒットアンドアウェイ・コミュニケーション」 と呼びましょう。
美味しいところは確実に狙い撃ちし、はまり込む危険がないように適切な
距離をとって事後は速やかに撤収する、それが最適戦略になりつつあるのです。
 
 
最初に私は「あなたを取り巻くコミュニケーションの種類と数」のことを
考えてみてください、と言いました。
 

あなたには生まれながらにして、家族・親戚という 血縁コミュニティ
所属しています。その後ほどなく、生まれ育った街の 地理的コミュニティ
取り込まれていくでしょう。学校に入れば、団体という 社会従属的
コミュニティ に放り込まれます。会社というコミュニティも同様です。
これを仮に 「強いられたコミュニティ」 と考えることにしましょう。
 
これらはそれぞれが深く狭いコネクションです。繋がりはあまりにも深すぎて、
切ることもまかりなりません。そしてそのコネクション本数はせいぜい
指折り数える程度の数しかないでしょう。ここで否定されることのダメージは
それはそれは計り知れないものになるのです。それこそ人生の一大事です。
だからこそ、人々はこうしたコミュニティに於ける振る舞いに臆病になってきました。
何よりもまず、こうした「強いられたコミュニティ」には、ヒットアンドアウェイの
余地が存在しません。いつでも 「撃たれたらお終い」 という恐怖と隣り合わせです。
 
「祭りドリブン・コミュニティ」は、これと対極を為すものです。
楽しそうなモノとはとにかく繋がっておく、徹底的に広く浅く、でも、
ホットな瞬間だけはそれぞれを目一杯狭く深く味わおうとするこの新種の
コミュニケーション形態は、そしてそれ故に、「強いられたコミュニティ」
に疲弊した多くの人々の心を捉えていきました。コネクション維持コストが
劇的に下がったという外部要因は、人々の生き方にも影響を与える のです。
 
ケータイが登場してじわじわとコネクションコストが低下し、
ネットの出現によってそれが一気に加速されました。
私たちは今、血縁にも、地域にも、団体にも拠らず、ネットの先に
確かに居るハズであろう相手 とコミュニケーションを取ることで、
趣味領域の知的欲求を満たし、精神的充足をはかる毎日を送っています。
 
その先に見え隠れするのは、とてもグロテスクで未来的な社会です。
未来の私たちは、
 
 「お隣さんのことは良く知らないけれど、
  ネットの先には同じ興味を持った親友が沢山いる」
 
ということが当たり前に思える社会に住んでいるのかもしれません。
 
そして、あなたがその未来をグロテスクだと思うことはきっと正常なのです。
 
昭和中期(30年前)の人たちが、仕事でも私生活でも毎日パソコンと向き合って
ケータイとメールとネットから離れられなくなっている現代の私たちを指差して、
グロテスクだと呟く姿が想像できるとしたら、それと何ら変わりは無いのですから・・・。


2006/01/29 [updated : 2006/01/29 23:59]


この記事を書いたのは・・・。
CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
ブログ「デジモノに埋もれる日々」「アニメレーダー」「コミックダッシュ!」管理人。デジモノ、アニメ、ゲーム等の雑多な情報をツイートします。




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guzen 2006/01/30
なんか引っかかるなあ
kasedac 2006/02/04
"各々のコミュニティの 「盛り上がりの変化」 を時間軸で見極め、その時その時に応じて どのコミュニティでの活動を優先すればよいかを判断"する「祭りドリブン」で「所属コミュニティのポートフォリオ」を構成する
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▼ コメント ▼

No.2037   投稿者 : 終始   2006年1月30日 12:38

これからのサイト運営にも直結する、非常に興味深いテーマだと思います。
私も以前どこかでこの話を耳にした事があり、
それ以降、折りにつけこの「広く浅く」のコミュニケーション方法を
気にかけていたのですが、
「広くアンテナを張れる」という力が非常に身近になったことによって、
「コミュニティを育て上げる」能力を身に付ける機会が
飛躍的に失われてきているようにも思います。

昔の世代の方々は、コミュニケーション手段が少ないと言う事もありますが、
誰かしらかが中心となって、同窓会なり社内サークルなりと、
人との結びつきを強める活動が開いているパターンが多いですが、
最近の世代では、就職するまで一度も人をまとめるような事を
した事が無いと言うのがほぼ当たり前になってしまっています。

例にあげられている電車男や、VipStarにしても、
「常駐組」と呼ばれる継続的にコミュニティを消滅させない方向に
力を掛けつづける人間が複数居てこそなりたったもので、
まとめたい世代と飽くまで浅く接したい世代があってこその物だと思います。
そして、このまま広く浅くが進行すれば、
今のようなまとまった祭りが成り立つまで
コミュニティが持たないと言う状態になりかねないと思っています。

個人サイトの寿命も上記の「コミュニティが持たない」と言う理由が
大きく関わっているのではないかと思っています。



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