マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(後編)

2005/03/13

(この記事には 前編
マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(前編) と 後編 があります。
 この記事に直接ジャンプして来られた方は、まず 前編
マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(前編) から順にご覧ください。)
 
前編では、スケールフリー・ネットワークの基本形をもとに、個々のノードが
コストパフォーマンスを考え、「最大許容コスト」 という制約の中で「選別」
しながら、コネクションを維持・管理しているというお話をしました。そして、
その コネクション維持コストが急激に低下 しているために、今までには
考えられなかったような大量のコネクションを維持できるようになったと述べました。
 
ここでこう突っ込まれる方もいらっしゃると思います。
「コネクションの量が増えても、それはスケールフリーに従って不平等に増えていくだけ
 だから、結果的に 強者が更に強化 される『べき法則』が維持されるのでは?」
 
でもちょっと待ってください。本当にそうでしょうか?
 
1つのノードが獲得できるコネクションの数には 限界 があります。当然ながらそれは
全体のノード総数 を超えることはありません。すなわち、コネクション維持コスト
がどんどん低下していってコネクション数が増加の一途をたどっても、マスが獲得
できる「新規コネクション数」は、早晩限界を向かえ、減少していくことになります。
 
ここには、先のスケールフリー・ネットワークの基本形とは異なる性質が見られます。
スケールフリーは「ネットワークは成長する」という言葉によって、
ノードとコネクションが増え続けるネットワークを想定しています。しかしもし、
 
 ノードは増えず、コネクションだけが増え続けるネットワーク
 
を想定したらどうなるでしょう?
 
よく、Web上のコンテンツは無限に増えていく と言われます。
asahi.comも、impressも、毎日、数十~数百の記事を新たに生成し続けています。
私のブログも毎日1つずつ記事を増やしています。でもそれは「Web上のノードが増えた」
といえるでしょうか? こうして無限に増えていくコンテンツに対して、
私たちは1つ1つを ノードとみなして コネクションを張りにいくでしょうか?
 
答えはNoです。私たちは、コネクションの対象としてふさわしい単位が、Webのページ
というコンテンツではなく、「アクター」 つまりプレイヤーであることを知っています。
個人、団体(企業)、その他人格を持ち得るコミュニケーション対象は色々ありますが、
私たちはこうした「価値のある情報を生み出すアクター」という単位でコネクションを維持
しようとします。そしてそのアクターの数が無尽蔵に膨らまないことは言うまでもありません。
 
コネクション維持に相応のコストが掛かり、個々のノードが無駄なコストを許容できずに
大多数を切り捨てる、という前提条件においては、スケールフリーは良好なモデルでした。
ところが、コネクション維持に掛かるコストが低過ぎて、コネクションが十分過ぎる
ほど張られた場合、べき法則の上にあった「ハブ」の持ち得るコネクションは「最大ノード数」
という限界に向かい、コネクションの新規獲得のペースは一気に落ちていくことになります。
 

総ノード数をNとして、あるノードが、在る時間 t に対してG(t)のコネクションを獲得
したとしましょう。ハブがいかに高確率で新規コネクションを獲得できる仕組みになって
いようとも、時間 t より後に、このノードが新規コネクションを獲得できる確率は
残りノード数である N-G(t) に対してしか効いてきません。
一方、時間 t に於いて G(t) がまだ十分に少ないニッチノードは、残りの N-G(t) が
まだ巨大であり、新規コネクションが増えるペースは衰えることがありません。
 
追われる立場(マス)は逃げ道がなく、追う立場(ニッチ)には広大な狩り場が目前にある、
つまり、マスはコネクション数を減らすわけでもないのに、相対的競争力が落ちるのです。
 
相対的競争力については、もう少し補足しておきましょう。
 
先ほどまでは、話を簡単にするためにコネクションが無向グラフであるかのように
論じていましたが、実際は有向グラフ、つまり 参照「される」コネクション(IN)
参照「する」コネクション(OUT) では全く意味が異なってきます。
 
「コネクションを多く獲得すると他者への影響力が増す」 と言っていたのは
INコネクション の数のことであり、自分から星の数ほどのノードを参照しまくって
OUTコネクションを増やしても、他者に対する影響力を増すことはできません。
一方、「末端ノードのコネクション維持に掛かるコストが減少している」 と言ったのは、
OUTコネクション の管理のことです。参照する側は、沢山の相手を同時に参照できる
ようになったのです。(例の如く、RSSやアンテナを想像してみてください。)
 
自分のノードが、コネクションを通じて相手のノードに及ぼす影響力の大きさは、実は、
相手のノードが持つOUTコネクションの総数に反比例 しています。
相手がもし、OUTコネクションを自分向きの1本しか持っていなかったとしたら、相手に対する
自分の影響力は絶大になるでしょう。しかし、相手にとって自分が10本のOUTコネクションの
中の1つに過ぎないのだとしたら、その影響力も落ちてしまうことになります。
 
右図はそんな影響度の重み付けの変化を示した図です。
図中の左側では、INコネクションの数が100、20という影響力の高い2つのサイトを
ある人が見ています。そして、それぞれの重みを85、15だと考えていました。
しかし図中の右側を見てください。ツールの進化によってOUTコネクションの維持
コストが低下し、その2つ以外のサイトも色々チェックできるようになりました。
この場合の影響力は、増えたOUTコネクションの分だけ分散してしまうでしょう。
 
INコネクション100を誇っていたサイトが、INコネクションの数を減らして
いない にもかかわらず、個人の中における影響力が 85→61 に低下している点に
注目してください。これがOUTコネクションの維持コスト低下に起因する、
マスの相対的競争力の低下の実情なのです。人々はOUTコネクションを大量に
維持できればできるほど、1つのものに過剰に影響されなくなっていくのです。
 
INコネクションを大量に保持すれば影響力が大きいと信じて疑わなかったマスは、
INコネクションと表裏一体のOUTコネクションの大量生産によって、コネクション
1本当たりの価値が相対的に薄められて しまうことに気づく必要があります。
それでは、薄まった分だけ更に、大量にINコネクションを獲得しなければならない
ということでしょうか? いえ、それもおそらく無理だと前述したはずです。
INコネクション獲得数には、全ノード数という「物理限界」があるのでしたよね。
 
ここまでのお話をまとめると、こうなります。
ノード数が急増しない前提の中で、コネクション数だけが急増する世界では、
既に大きな影響力を獲得したマスほど、新規コネクションの獲得ペースが
鈍くなります。マスのコネクション数はこれからも増え続けるにも関わらず、
ニッチが新規コネクションを獲得するペースがそれを遥かに上回るため、
マスの影響力は相対的に低下し、ニッチとの差が縮まっていくというわけです。
 
これは ノード数とコネクション数のバランス がもたらす結果とも言えます。
 
ノード数に対してコネクション数が十分少ない場合(通信コストが高かった時代)、
ネットワークは互いに 断絶した孤島 となり、局所に分裂した小さな世界だけが
存在していました。この状態では、個々のノードは「全体」のことは知りません。
 
次に、ノード数に対してコネクション数が適度に大きくなると、ネットワークは
スケールフリー のような相転移状態になります。繋がれるものならできるだけ
良いものと繋がりたい、その結果、一部の強者だけが強大な影響力を誇るマス
として君臨するのです。ここに於いては、「全体」を知り、共有することが
最も価値が高いという、グローバル志向の価値観 が生まれてきます。
 
ところが、その先にある状態はまた違った世界を持っているのかもしれません。
ノード数に対して コネクション数が「過度」に大きくなる ネットワークでは、
1つのマスが強い影響力を行使できなくなり、次々に似非マス化する他ノード
によって薄められていきます。この状態では個々のノードは、
 
 「全体のことを知ることはできるけど、全体を気にしたりはしない」
 
という新しい ドツボ社会 を形成していきます。つまり「見ることができる」
かどうかは問題ではなく、「見たいもの」と「目に入ったもの」しか見ない世界
になっていくのです。私が以前のエントリで、「人々はツールの進化で余った力を、
時事ネタの理解を深めるために使ったりしない。その力は全て、興味の対象を
掘り下げるために充てられる」と記したのも、つまりそういうことなのです。
 
さて、元々はロングテール論から始まったお話でしたが、ここでは、
「小さいモノだって、労せず拾い集められるのなら、オイシイかもよ?」
という一般的なロングテールのお話とは少し違う視点について述べさせていただきました。
 
今回のテーマである 「マスの停滞とニッチの急追」 は、
当然ながら、時間軸を無視して とても大げさに 表現してありますので、
むこう2~3年でマスが崩壊したり、巨大なニッチだらけで社会がフラット化
したりといった激変が起こるわけではありません。でも、みなさんも少しずつ
感じ始めているのではありませんか? マスがじりじりと影響力を弱めていること、
ニッチがじりじりと影響力を強めていること。そう、少しずつ、少しずつ・・・。
それが「市民革命」のような意図的な志(こころざし)に拠ったものなどではなく、
コネクション維持コストが劇的に下がったことで生ずる 自然現象 なのではないかと、
私は今そんな風に考え始めているのです。もう少し色々考え続けてみたいテーマです。


2005/03/13 [updated : 2005/03/13 17:55]


この記事を書いたのは・・・。
CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
ブログ「デジモノに埋もれる日々」「アニメレーダー」「コミックダッシュ!」管理人。デジモノ、アニメ、ゲーム等の雑多な情報をツイートします。




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▼ はてなブックマークのコメント ▼

ced 2005/03/14
この流れをきちんとサポートするための行政側の措置として、safe harborといったものを考えないと。
kasedac 2005/03/14
The Long Tail論(2) コネクション維持コストで説明
Genpaku 2005/03/29
Monster Tail
keisuke_yamane 2005/10/16
ロングテール論。
fujikumo 2006/08/14
射程の長そうな話。まだうまく理解できなかった。
mind 2007/03/04
人々はOUTコネクションを大量に 維持できればできるほど、1つのものに過剰に影響されなくなっていくのです。 ――クラスタ化の時代。お気に入りネット関係を読むとよく解る。
lostman6 2011/02/04
今の「若者」の消費行動が分からない人達は「OUTコネクション」の部分をよく読むべきだな。
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▼ コメント ▼

No.809   投稿者 : 湖水   2005年3月16日 04:14

はじめまして。賢くもなくまた勉強不足でもあるのでおっしゃることを理解したとは到底言えないのですが。
テレビを視つつサイト、ブログを巡回する個人に対してテレビは影響力をダウンさせてるんだろうな、と感じる今日この頃です。


No.810   投稿者 : CK   2005年3月16日 09:34

●湖水さん
はじめましてこんにちは(・▽・)ノ お読みくださいましてありがとうございます。
テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・そしてネットになって商用サイト、ブログ、掲示板、その他諸々・・・、
情報に囲まれれば囲まれるほど、マスへの「依存度」が減っていくことを実感できますよね。
ミリオンヒットのような集中熱狂が減っているのも、情報が溢れすぎて個人がニーズに合わせたものを「選べてしまう」
ために分散を避けられなくなっているように思います。「韓流」も「マツケン」も、息の短さといったら・・・(;´~`)



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