「広告でもあり知識でもある情報」との付き合い方(後編)

2004/11/27

(※この記事には 前編
「広告でもあり知識でもある情報」との付き合い方(前編) と 後編 があります。)
 
前編では、広告は「役に立つ情報」になるべき、というお話と、
広告は「知的欲求のスピード」に追いつくべき、というお話をしました。
 
たとえ凄い勢いで「○○がいいですよ~」「△△もすごいですよ~」
「ホラ、こんなに凄いんだから××を買って~!買って~!」
と煽ったとしても、消費者の「疑問」が異なるポイントに向いていたとしたら、
もはや自慢のセールストークも 疑問の増幅器 にしか聞こえません。
 
当然のことながら、広告から得られる情報は、消費者の 「全ての疑問」
には答えてくれません。自身の製品の不利になるような情報は広告からは一切
得られないからです。そして消費者の側も当然、広告の情報は「製品の悪い部分
を全て省いた情報」であることを認識しつつ情報を受けています。
 
■ moriyさん「すべてのコンテンツはペイドパブになる」(まんぼうライフ)
http://www.manbowlife.com/archives/2004/11/post_40.html
 
ペイドパブ(paid publicity)、ペイパブ、私もこの言葉を初めて知りましたが、
つまるところ「記事風広告」「広告記事」 のように、メーカからお金を貰って
もっともらしい体裁の内容を発信することを総称して「ペイドパブ」と呼びます。
moriyさんの記事では、色々な記事が どのような「背景」を経て
発信されるのかという部分に焦点を当て、広告記事はもとより、普通の記事にも、
TVのニュースにも、番組自体にも、内容にどういうバイアスが掛かっている上での
発信なのかを見定める必要があるとして、
 
 「程度の差はあれ、どれもペイドパブみたいなもんだ」
 
くらいに思っておいたほうが良い、というお話をされています。
私もこのお話に強く賛同します。あらゆる記事には「背景」が存在し、
その背景を知らずして意味を解釈することは難しいと考えています。
例えば「調査結果」などというものは、その「背景」のカタマリです。
 
■ ゆで麺さん「このユーザー調査に意味はあるのかな?」(papativa.jp)
http://papativa.jp/archives/000484.html
 
前編に続いて再び、ゆで麺さんのエントリから取り上げさせていただきました。
「どこが良くなりましたか?」と尋ねてくるのに、
「どこも良くなってませんがな」という回答はできない
という素敵チックなアンケート。世にある調査というものは、そのほとんどが
望んだ数字を作り上げるために 敢行される、という良い例でしょう。
(私の記事 [CCCDに「消極的賛成」な人が多いらしいのですが?
CCCDに「消極的賛成」な人が多いらしいのですが?] もご参照のこと)
 
--
さぁ、前置きが長くなりましたが(長っ!)、本題に入りましょうか。
 
情報には発信される 「背景」 があり、発信者には 「意思」 があります。
前述の「広告記事」や「ためにされる調査」のような例は判り易すぎる例ですが、
そうでなくても「○○社は大スポンサーである△△社の悪いことは書けないよなぁ」
とか、「逆に、義理立てのない××社に対しては容赦ないな」とか、細かな背景が
ごった煮状態になっているワケです。というわけで、再び「まんぼうライフ」から。
 
■ moriyさん「残酷なGoogleが支配する」(まんぼうライフ)
http://www.manbowlife.com/archives/2004/11/google_1.html
 
従来は、質を 「担保」 していたのはマスメディアである、という構造でした。
つまり「○○新聞が言うんだから、嘘っていうコトはないだろう」という具合です。
しかし前述の通り、それが「担保」になっていないことを、今では誰でも知っています。
すると次はどうすれば良いのでしょう。
「バイアスが掛かっていない公正なメディアが必要」 でしょうか?
でも「その公正なメディア」とやらはどういう背景と誰の意思によって・・・、
と考えれば、それが 単なる堂々巡り であることはすぐに判ります。
その意味で、moriyさんの仰る「あとは個人が判断するしかない」は全く以って正論です。
 
「情報を信じる」ということは、「判断の是非を他者に委ねる」ということであり、
それは同時に 他者の意図に誘導され得るリスク も包含しています。
 
右図中の左側を見てください。少数のマスメディアに判断を委ねたケースでは、
容易に誘導され得ることになります。では真ん中の図はどうでしょうか。
マスメディア、ミニコミ、掲示板、個人blogなど多数の情報源を元に、
自分自身の判断で答えを探していけば、誰の誘導も簡単には受けない自分本位の
答え探しが可能です。しかし、これには強烈に高いコスト(労力)が必要です。
 
では、そうした作業を代わりにやってくれる 「コーディネータ」 が居れば
良いのでは?というのが右側の図です。しかしこの場合も、「依存したものに
誘導され得る」という基本は変わりませんから、コーディネータに誘導されるのを
誰が止められるというのでしょう。コーディネータが力を持てば力を持つほど、
そこに多くの「意思」が介在を望んできます。Googleとて例外ではありません。
 
更に言えば、偏在するリスクは「悪意」や「間違い」だけではありません。
万人にとって概ね正解である情報でも、自分に発生した疑問に的確に答えている
とは限りません。「自分とのズレ」を補正するには、どうしても自らの労力を
使った セルフ・コーディネート からは逃れられないということになります。
 
こうした状況を勘案した上で、あえてこの問いを考えて見ましょう。
 
「大手メディアの情報と、掲示板・blogの情報に 格差 は存在するか?」
 
答えはYesでもありNoでもあります。しかし、情報を受ける個人がやるべきことは
どちらも変わりがありません。情報の 出所 を確かめ、情報の 発信意図 を知り、
情報の 確からしさ を類推するのです。その上で各々の情報源に対して自分なりの
重み付け(格差)をつけることはモチロンwelcomeです。その情報の出所や意図が
分散すれば分散するほど、それは誘導に対する バランサー として機能します。
 
広告記事、商業的バイアス、憶測、悪評、取るに足らないひと言、・・・etc.
情報は単体で見た場合、様々な不安要素を含んでいます。しかし、単体で鵜呑みに
すると危険 であるそれらの情報は、複数の情報を見比べながらセルフ・コーディネート
していく前提に於いては、1つ1つが全て「宝」 ともいうべき情報に成り得ます。
だからこそ私は、2ちゃんねるや個人blogの情報を、大手メディアに勝るとも劣らない
重要な情報源として位置付け、自分なりに活用させて頂いているのです。
 
moriyさんの「すべてがペイドパブになる」というお言葉は、言い得て妙です。
あらゆる情報は、自らの判断で自分流に補正し、複数の情報源から得た情報を
セルフ・コーディネートしていかなければなりません。勿論、誰しもがその
コスト(労力)を払いきれるものではないでしょう。しかし省いた労力は必ず
誘導され得るリスクとして換算されて返ってきます。
 
個々の情報に掛かっているバイアスの意味や大きさがある程度類推できるのであれば、
怪しい広告記事も、掲示板のウワサ書き込みも、過剰に恐れる必要はありません。
自らの バランサーに深みを加える 意味で、それらはれっきとしたプラス要素になるのです。


2004/11/27 [updated : 2004/11/27 19:40]


この記事を書いたのは・・・。
CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
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▼ コメント ▼

No.186   投稿者 : 774   2004年11月27日 20:54

今回のような議論?ネタ結構面白いですな、、、


No.189   投稿者 : CK   2004年11月28日 22:58

●774さん
ありがとうございます(=゜ω゜)ノ まじめ2割、おふざけ8割がモットーですが、
今回の記事はあまりにも長くてちょっと心配していました。ご覧いただけまして嬉しいです。


No.194   投稿者 : kaniman   2004年11月30日 13:29

踊らされているのが幸せだと思う。
深く考えるとテレビは見れません。
同じアホなら、おどらにゃ損損♪


No.195   投稿者 : CK   2004年11月30日 17:37

●kanimanさん
うーむ、いわばアダムとイブの林檎みたいなお話ですね(笑)
知らなければ知らないなりに幸せだったのに、一度知ってしまうともう知らなかった頃には
戻れないというか、みのもんたの話をいちいち真に受けていられなくなったというか( ̄▽ ̄;)
わたし的には「踊らされている」ではなくて、「自分から積極的に踊る」がいいですね。



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