私たちがネットを通して見ているもの・築いていくもの
2004/05/20・関連するblog: 梅田望夫・英語で読むITトレンド[ネット世代とPC世代を分ける「インターネットの隠れた本質」]
・関連するblog: syulenさん [インターネットを生活の場に出来るか?]
ネットで今まさに起きようとしていることを捉えた、大変面白い話題です。
そして、私が大変強い興味を抱いている分野のお話でもあります。
梅田さんのblogでは、「PC世代」とは違う「ネット世代」が生まれようとしていること、
その間を隔てているものは「ネットの先の不特定多数への信頼を持てるかどうか」の差
ではないかということが、「はてな」やGoogleを例に取りながら説明されています。
syulenさんのblogでは梅田さんのblogを受け、「ネット世代」に起こった変化について、
情報を「保持する」ことの価値が著しく低下して、(持つ者/持たざる者という区別の無意味化)
情報そのものの価値・情報を生み出すことの価値に向き合い始めたことだと表現されています。
そして、他人の評価を欲し、自分の評価・価値を高めるという現実世界の行動原理をネットにも
当てはめること、すなわち「ネットを生活の場として捉える」という概念が新しいとしています。
私はお二人の論旨にそれぞれ概ね賛成すると共に、私なりに感じていることを記します。
---
まず本題に入る前に、「世代」という言葉が「年齢による区分」だと勘違いされてしまうと
要らぬトラブルを引き起こしそうな気がしますので、その点は念のため注意が必要です。
パソコン通信の黎明期から、そういう人種は極小勢力だったとはいえ多く存在していました
(NIFTYフォーラムにも、fjにも)。そうした方々は紛れも無いネット世代なのだと思います。
さて、ネット世代という文脈からは、当たらずも遠からずなことを言い出すかもしれませんが、
私の興味あるテーマとは「ネット上の対人関係に価値を見出せるかどうか」です。
少なくともblogにハマってしまったソコのアナタは、この問いには迷い無く
「Yes」と答えるでしょう。それでは、もう少しブレイクダウンした質問にしてみましょうか。
A.あなたは、ハンドルネームしか知らない相手に「人格」を認めて、対話できますか?
B.あなたは、ハンドルネームも無い匿名の相手に「人格」を認めて、対話できますか?
C.あなたは、ネットでのみの関わり合いを、自分の「生活」の一部として認めていますか?
この問いにどこまで「Yes」を認められるか、その辺りが私にとってのネット人の境目です。
ちなみに私は全て「Yes」ですが、勿論「Yes/No」が入り混じっている方も多いことでしょう。
その一方で、ABCに対して恐らく1つも、心の底からは「Yes」とは思えないという方々が
いらっしゃると思います。そうした方々から、私は何度もこんな言葉を聞いてきました。
「所詮、匿名なヤツは、匿名ナリのことしか言わんし」
この背景に見え隠れするのは「まずリアルが存在し、そのリアルの断点を繋ぐのがネットの役目だ」
という価値観の存在です。こうした方々にとって、ネット上で「しか」確認できない存在とは、
リアルのそれと比べて何百分の1程度の信頼しか持ち得ないモノに見えるのだと思われます。
そして往々にしてこんな発言にも遭遇します。
「2ちゃんねるって所詮、陰口しか叩けないヤツの集まりでしょ?」
Googleが北米の誇る情報産業の最強の成果物だとしたら、2ちゃんねるは日本が世界に
誇る偉大なコミュニティとしてGoogleと並び称される存在だとホラ吹く(?)私ですが、
上のように仰る方に対して、2ちゃんねるの意味や影響力の大きさを説こうとした際の苦労
はそれはもう並大抵のことではありません。「現実に裏打ちされない、情報のみの存在」
に対して「人格」を認めるという価値観を持ち合わせていない人々にとって、そこで
築かれる関係は、おそらく全て「おままごと」のように感じられるのだと思います。
さあ、どうでしょう。
あなたにとって、ネットは現実の断点を繋ぐ「通信機」ですか?
それとも、ネットは人生に於いて生活の価値を感じる「社会」ですか?
正しい/間違っている、新しい/古い、という分け方はしませんが、ネットに出会ったことで
今までと異なる価値観を持つ人が増え始めているのは恐らく事実です。これからのネットでは
この「ネット人」の存在を「見なかったことにしよう」とは言い張れなくなってくるでしょう。
もう1つ、変な命題を出して(出し逃げして ^_^;)、締めくくることにしましょうか。
・コンピュータ世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションを、
「価値ある情報に近づくための手段だ」と考えることが多いようです。
情報交換を重ねて、価値ある情報という「結果」が得られれば目的が達成できる、
その過程に於ける対話は手段でしかなく、結果が生み出せない対話は価値が薄い、と。
・ネット世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションそれ自体を、
生活に於ける「娯楽」の要素として捉えていることが多いようです。
そこに於いては、より良い情報が引き出せるかどうかは「二の次」であり、
その過程に於ける対話の連続そのものに楽しみを見出しているのだ、と。
対話自体に存在する娯楽性については、またいずれ機会があれば取り上げるかもしれません。
私は少なくとも、このネット社会にリアルタイムで身を置くことができる喜びを感じています。
2004/05/20 [updated : 2004/05/20 00:00]
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